かなり偏った方向に、というか、頑なな方向に、というか。
おととい、英語についての内容をここに書き、翌日、こんな記事を読んだ。
「正しい英語」と「使える英語」は何が違う?
英語が公用語になっている組織で働いた実感
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20100906/216126/
海外のいろんなちょー頭良さそうな企業に長く勤めている人ですら、英語に相当苦労してきて、今も完璧ではないんだなあ(何を持って完璧というのかはさておき)と思ったら、おとといの自分のぼやきが馬鹿らしくなった。
そういや、ワールドビジネスサテライトのフェルドマンさんとか見てても、発音は英語を話す人の発音だったし、言い回しなども日本人ネイティブと全く同等とは言いがたかった。でも、話す内容は高尚というか、小難しかった。
そんなもんなんだな。だったら、「話の中身=自分自身の中身」を磨けばいいんだな、と。仏法の言葉に、「声仏事を為す」ってある。言葉・声にはすごい威力がある。でも、それには、自分自身に威力、つまり中身がなきゃだめなんだ。
あ!そーいや!
先日、とあるネット関連の外資系企業のカスタマーサポートを受けた。どうもシンガポーリアンが日本語でメールを書いて回答をくれてるみたいで、文法はまあまあなかなかなんだが、内容がとにかく噛み合わない。何回か往復してたら、別のシンガポーリアンらしき人に変わった。そしたらその人は、前の人よりも文法などは上手じゃないんだけど、内容が明確で「最初からこの回答をくれよ!」と突っ込んだ。。。
英語を正しくペラララララ~と喋るのは来世になるかもしれないけど、英語が少々間違ってても中身のある話ができるようになるのは今世中に間に合うだろ。
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